
現代につながる49星座の設定者は、紀元前2世紀の天文学者ヒッパルコスで、アラトスのものに修正を加え、現在にすべてつながる46星座を決定しました。
この後、トレミーの48星座とかみのけ座を合わせた全49星座を決定したという説もありますが、その著書は残されてはいません。
紀元2世紀、クラウディオス・プトレマイオスがトレミーの48星座を決定ました。
プトレマイオスは、かみのけ座の一点を認めませんでした。
この48星座を決定した者は、前述したとおりヒッパルコスだという主張もありますが、ひとまず、著書が残っているプトレマイオスの名をとり、今でもこれらの星座はトレミーの48星座と呼ばれ続けています。これは長く標準となり、16世紀までは付け加えられることも、減らされることもありませんでした。
16世紀、大航海時代が始まると、プトレマイオスが観測できなかった南天にも星が続々と見つかった。地動説が唱えられはじめ、プトレマイオスの絶対的な権威は薄らぎました。ティコ・ブラーエは、プトレマイオス以前に使われていて、一度は除外されたかみのけ座を復活させました。
1603年、ヨハン・バイエルが南天の星座を記した全天恒星図を作りました。ただし、バイエルは、当時の船乗りが使っていた星座を新しく記載しただけで、特に星座を創作したわけではなかったとも言われています。
この後、天動説が信じられなくなると、プトレマイオスの権威は低下し、さまざまな天文学者が続々と新しい星座を設定しました。
ただし、ヨハネス・ヘヴェリウスの7星座とニコラ・ルイ・ド・ラカーユの14星座を除き、ほとんどがその後は生き残れませんでした。
この時代に設定された星座は、星が少なく、従って星座も設定されなかった領域に無理やり星座を作ったような例が多くあります。また、王侯貴族にちなんで名付けられたものも多かったようですが、その他の国に認められず、ほとんどが消滅しました。
このように、さまざまな理由で星座が乱立し、基準がとれなくなりはじめたので、1928年の国際天文学連合(IAU)第3回総会で現在の88星座が決められ、現在に至っています。
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